五感で感じるのが面白い【ウォーキングは『遊び』の大王だ】(3-06)

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一人で森の中を歩いていると、神経が研ぎ澄まされていくのを感じる。

もしくは透き通って透明になっていく、そんな感覚にも近い。

カサッという音がすると、目はそちらの方へ自然と向く。

テントの中にいても、動物の気配を感じることもある。

もちろん匂いもしないし音もしない。
でも動物の気配を感じるのだ。

結論:五感を研ぎ澄ませ、神仏を感じ、自然と対峙したいなら、一人で森をウォーキングすべし

山や川という自然

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岐阜の朝焼け

『自ずから然る(おのずからしかる)』と書いて、自然(しぜん)と読む。

太鼓の昔から、人間とは関係なく、山や川は存在している。

「そんなこと、当然だろう」
と思う人は、ぜひ一人で森を歩いてほしい。

きっと神経が研ぎ澄まされていくのを感じることができる。

それこそが自然の摂理であり、パワーなのだ。

それは同時に、都会にいては忘れてしまう感覚なのである。

「五感がどんどん敏感になると、第六感も働くようになる」
という人がいる。

自分はそこまで敏感にはなれないが、
「ひょっとしたら、そうなのかもしれないな」
とも思う。

自然崇拝の思想

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百々ヶ峰からみる恵那山方面

日本の仏教には
「山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)」
という考え方があるそうだ。

読んで字の如く解釈すれば、山川草木にも仏が宿っているという意味に解釈できる。

これは日本独自の考え方で、中国仏教やインド仏教にはない考え方だ。

まして西洋人には理解が難しいと思われる。

しかし筆者にはすんなりと入ってくる考え方だ。

森にも仏や神が宿っていると、なんとなく感じることができる。
それは森に入り、五感が研ぎ澄まされてくると、ますます感じることができる。

だから
「きっとそうなのだろう」
と思っている。

自然を壊さないようにしよう、とか、ゴミを持ち帰ろう、なども
「当然だよね」
という考え方になる。

まとめ

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メジロと桜

強制されるわけではなく、気負うことなく、自然を守り育てるには、どうすればいいのだろう。

なんとなく『山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)』という考え方にヒントがあるように思う。

自然の中を歩くとき、森の中を散策するとき、草原をウォーキングする時。
ほんの少しで構わないので、神仏を想像していただきたいと思う。

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