一人で森の中を歩いていると、神経が研ぎ澄まされていくのを感じる。
もしくは透き通って透明になっていく、そんな感覚にも近い。
カサッという音がすると、目はそちらの方へ自然と向く。
テントの中にいても、動物の気配を感じることもある。
もちろん匂いもしないし音もしない。
でも動物の気配を感じるのだ。
結論:五感を研ぎ澄ませ、神仏を感じ、自然と対峙したいなら、一人で森をウォーキングすべし
山や川という自然
『自ずから然る(おのずからしかる)』と書いて、自然(しぜん)と読む。
太鼓の昔から、人間とは関係なく、山や川は存在している。
「そんなこと、当然だろう」
と思う人は、ぜひ一人で森を歩いてほしい。
きっと神経が研ぎ澄まされていくのを感じることができる。
それこそが自然の摂理であり、パワーなのだ。
それは同時に、都会にいては忘れてしまう感覚なのである。
「五感がどんどん敏感になると、第六感も働くようになる」
という人がいる。
自分はそこまで敏感にはなれないが、
「ひょっとしたら、そうなのかもしれないな」
とも思う。
自然崇拝の思想
日本の仏教には
「山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)」
という考え方があるそうだ。
読んで字の如く解釈すれば、山川草木にも仏が宿っているという意味に解釈できる。
これは日本独自の考え方で、中国仏教やインド仏教にはない考え方だ。
まして西洋人には理解が難しいと思われる。
しかし筆者にはすんなりと入ってくる考え方だ。
森にも仏や神が宿っていると、なんとなく感じることができる。
それは森に入り、五感が研ぎ澄まされてくると、ますます感じることができる。
だから
「きっとそうなのだろう」
と思っている。
自然を壊さないようにしよう、とか、ゴミを持ち帰ろう、なども
「当然だよね」
という考え方になる。
まとめ
強制されるわけではなく、気負うことなく、自然を守り育てるには、どうすればいいのだろう。
なんとなく『山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)』という考え方にヒントがあるように思う。
自然の中を歩くとき、森の中を散策するとき、草原をウォーキングする時。
ほんの少しで構わないので、神仏を想像していただきたいと思う。
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